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小笠原長清と長澄について [歴史]

小笠原長清(1162-1242)清和源氏の家系で、加賀美長清という。

父は甲斐源氏の加賀美遠光。加賀美氏は甲斐の国の小笠原(山梨県明野村)を本拠地とした。よって小笠原の名前を使うようになった。

八ヶ岳南麓の「小笠原」から信濃の国の諏訪や佐久地域に進出、子供を地域の荘園の地頭に任命(伴野氏・大井氏の祖)、信濃に勢力拡大。

小笠原長忠が長清の長男。長澄が9男という。信濃の国に小笠原家が進出し、長澄を大倉城主にした。

小笠原長清が1242年に亡くなり、数年後に大倉城のすぐ近くに長清寺を建立。位牌やお墓が大倉近辺の地域にあるが、本当のお墓は山梨県や飯田市にあると考えられる。もしくは京都の廟所になる。

長清の墓

山梨県北杜市明野町小笠原1205

長野県長野市豊野町川谷

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