龍谷山長清寺ルーツ探索ウォーキング [歴史]
平成22年(2010年)5月5日水曜日次の日程にて
1.長野市豊野町川谷 龍谷山長清寺本堂に集合
1926年に旧長清寺古井戸から発見された地蔵尊立像(愛宕山大権現)を拝観(通常拝観することはできません)
小笠原信濃守源朝臣長清(写真中央)、大倉城主小笠原興市長澄などの位牌を拝見
2.大倉城主大倉与一長澄の墓を参拝
1つの墓には「小笠原長清の墓」と書かれていた。(写真右側)
長清寺から数十メートル高いリンゴ畑が広がる場所に移動
案内板には与一と書いてあるが、與市(与市)が正しいかもしれない。
3.大倉城の登頂 長野市豊野町大倉
2方向から登頂が可能、千曲川、鳥居川、中野市、小布施町方面がよく見える
桜やタンポポなどがきれいに咲いていた。本郭、二の郭、三の郭と段々になっている。 場所さえ分かれば、案内表示があったり、道も整備されているので90メートルほどを登りきることは可能
生き延びた大倉一族は、越後の国上杉の下、新潟県に移り住んだらしい。高柳町は大倉一族の子孫の人たちが住んでおられるとのこと。高柳町は2005年5月に柏崎市に編入合併している。雪の多い地域。
大倉 喜八郎(おおくら きはちろう)は新潟県新発田市出身。大倉財閥の創始者。鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを渋沢栄一らと共に設立した、東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者。その息子大倉 喜七郎はホテルオークラを設立。この大倉財閥との関係ははっきりしないが、1981年ごろ大倉城主の子孫が新潟より供養の御礼に来た際に、自慢の一つだったようだ。
記帳するノートが置いてあります。柏崎市から来られた大倉という方の名前も見うけられました。
4.旧長清寺跡探訪(1685年に川谷の現在地に移転)
舗装道路からは距離はないがスギ林となっているため道がない。よって案内人がいないと訪れることはできない。
最初に長清寺で見た仏像は、1926年に14世村松宝和尚が夢枕で見たことにより、近所の人たちとこの地に探しに来て、古井戸の中から発見したもの。1685年の移転以前からとすると、240年以上は井戸に眠っていた?
今回のウォーキングで発見したことは、夢枕の話が現実となったことによる記念碑があったこと、座禅石があったこと。記念碑は昭和6年に建立されたようなので、80年前ということで今回参加したメンバーは生まれていなかったことになるかも? ただ建立した人たちは父親や祖父、曾祖父になる。
古井戸と思われる場所。ここで和尚たちが発見したのだろうか?
「愛宕山 源長幹」と記さてれいる
大正15年12月1日に古井戸から愛宕山大権現を発見、昭和6年5月17日に記念碑を立てた。当時の政治家や寄付した人(関係者)の名前が下に続いている。
このあとは食事をしながら、歴史の勉強をしました。
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